「ヴィーガン」 「プラントベース」言葉の定義から考える0か100か、二極化視点の危うさ

最近自宅でプラントベース栄養学講座を開催した。

初回は講座のみ。そして2回目・3回目は、お料理上手な友人に講座の内容に沿ったランチを提供してもらった。どの会も本当に素敵な方々が参加してくださり、そんな皆さんと実際に会って交流できたことが嬉しかった。

そして、プラントベースに興味を持ち、私の講座を受けにきてくれたことに心から感謝している。


プラントベースを実践する理由には、健康、環境問題、動物倫理など人それぞれだと思う。

私はというと、ヴィーガンになったことで自動的に日々の食事がプラントベースになった。以前から健康に関心はあり、なるべく普段の食事を気をつけるようにはしていたものの栄養の知識は全くなく、そもそも動物のことが理由でプラントベースに移行したため、当初は栄養が足りているのか正直不安に感じることが多かった。

そんな中、プラントベース栄養学なるものがあることを知り、これは知っとくべきじゃないかと早速コーネル大学によるオンライン講座を受講し始めたのが去年2月のこと。その後参加したオンライン勉強会で更に学びを深め、科学的根拠に基づいた知識を身につけることができたため、自身の選択にとても自信が持てるようになった。


食文化がとても多様なニューヨークだけでなく、ここ数年日本に帰国する度、少なくとも私の実家からアクセス可能な都心部では、ありがたいことにプラントベースの食事を提供するカフェやレストランが増えてきていると感じる。ヴィーガンやクルエルティフリーマークのついた商品もよく見かけるようになった。

このように、ヴィーガンやプラントベースという言葉の認知度が日本でも広まり、選択肢が増えていることをとても嬉しく思う。(もちろんそれが一部の地域に集中していることだったり、欧米と比べたらまだまだヴィーガンとして生活するにはハードルが高い部分もあって、今後もっと広い範囲で選択肢が増えていくことを願っているのだけど…)

同時に、ヴィーガンやプラントベースという言葉が本来の意味とはちょっと異なるかたちで伝わってしまっているケースも結構見かける。

私のプラントベース栄養学講座の中でもプラントベースやヴィーガン、それぞれの言葉の意味や違いについて紹介した。誤解を生まないためにもまずは正しい意味を伝えることは大切なこと。

でも最近改めてヴィーガニズムの定義について考えるきっかけがあった。そこから見えてきたのは多様なあり方を尊重することの重要性。それはヴィーガニズムに留まらず、今後どんなかたちであっても人に伝えるという活動をしていくのであれば、尚更忘れてはいけない大事なことだと思ったので、ここに書き残しておこうと思う。

目次

ヴィーガニズムの定義:「実践可能な限り」の持つ意味ってなんだろう

ヴィーガンとは、を説明する際イギリスのThe Vegan Societyによる「ヴィーガニズム」の定義が引用される:

“Veganism is a philosophy and way of living which seeks to exclude—as far as is possible and practicable—all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose.”

The Vegan Society

和訳:

ヴィーガニズムとは、実践可能な限り、食用、衣料用、その他あらゆる目的において、動物からの搾取及び動物への残虐な行為を排除しようと努める哲学や生き方のこと。

このヴィーガニズムという生き方を実践することの人をヴィーガンと呼ぶ。

ヴィーガンは完全菜食主義者とよく言われるけれど、少なくとも食においてはその通りだと言える場合は多い、と思う。しかし、動物性のものを「絶対に」「一切」口にしてはいけない身につけてはいけないという説明には違和感があるし、100%そう言い切ることはできない。

なんだかとても回りくどい言い方をしているようだけれど、この回りくどさこそ定義内の「…as far as is possible and practical…」を反映していてるのではないか、と私は思う。だって人それぞれ置かれている立場や状況も違えば考え方も違うのだから、「実践可能な」範囲も人それぞれ違うはず。だからヴィーガンを0か100かのアプローチで判断することはできない。

白じゃなく、黒でもない、シンプルに判断がつかない場合のグレーゾーンで、多くの人は模索しながら自分の納得のいく優しい選択をしようと努力しているんじゃないかな。だから「完全◯◯」や「絶対だめ」という言葉で表現してしまっては、この多様な選択からなるグラデーションの中にいる人たちを軽視してしまうリスクにつながるんじゃないかと思ってしまう。

逆に言えば、これだけ肉食や動物搾取が当たり前になっている現代社会の中で生きている限り、完璧なヴィーガン生活を送ることは非常に難しいこと。ヴィーガンであるからこそ多少感じる不便性や時に感じる葛藤は、個人がというより企業やもっとマクロなレベルのシステムが原因であることも多いだろうし。 


私の話をすると、ヴィーガンになった当初はガチガチに自分を厳しく取り締まっていたこともあった。例えば体調を崩して薬を処方されても頑なに飲まないようにしたり。セカンドハンドショップで気に入った古着を見つけても、ヴィーガンとしてレザーやウールは買うべきではないよね(でも環境やサステナビリティの観点からは新品を買うよりいいんだろうけど、でも買うべきじゃない、けどどうしよう)となんだかモヤモヤしたり。

また、子供の残したテイクアウトのご飯など、フードロスのことを考えるともったいないなと思って食べることもたまにある(それでも例えばお肉など、どう頑張っても体が受けつけないものもあるのだけど…)。

既に持っている動物性の衣類や日用品は寄付するか大事に使い続けることにしていて、新しく購入する場合は動物に優しい商品を買うようにしている。けれども、動物に優しいからといって環境や人々には配慮されていないものもある。買い物を通して一票を投じると考えるからこそ、この企業に賛同できるかどうかという判断基準も加わり、時間をかけて調べなくてはならないこともある。

こんなふうに模索を続けながら、一年半かけて徐々に私にとっての納得のいく選択ができるようになったきた気がする。

そして少なくとも私は今健康で、薬に頼る必要はなく、賛同するヴィーガニズムの定義に沿って自由に考え自由に選択できる立場にある。けれども病気で医学的治療を受けなければならない、持病を抱えていて薬を飲まなければならない人たちもいるし、私の想像に及ばない様々な状況があるだろう。

動物のことを知って行動しているからといって私は決して特別な存在ではないし、行動することが可能な環境にいることはとても恵まれていること。そして、そうしたくてもできない人たちがいることを忘れてはいけない。

ヴィーガンに限った話だけでもこれだけ色々なかたちがあるのだから、あらゆる場面でこれは当てはまるんじゃないかな。だからこそ何かと何かを比べてこっちがポジティブであっちはネガティブとか、シンプルにどちらかに優越をつけることを私はしたくない。絶対にこうだと断言したり、マジョリティに属さない人たちやグレーゾーンで模索しながらもできることをしようと努力している人たちに配慮が足りなくなるような言動には十分に気を付けたいと思う。

人のあり方ってとても多様だからこそ物事を多角的に見る必要がある。だからあえて簡単にまとめる必要はなく、複雑なのなら複雑なままで、学んでもっと知って、誰かと議論したり話したり、そんなかたちでそれぞれが考えていくことも大事なのかなって、ヴィーガニズムの定義を私なりに分析してみて気づきがあった。

そんなことを踏まえて改めて考える「伝える」という活動

ヴィーガンという生き方を選択してから一年半。

自分が正しいと思っているからといってそれが他の誰かの正解になるとは限らないし、決して自分の考えを押し付けるようなことはしたくない。けれど何事もまずは知ることから。知った上でそれぞれが判断し決めること。

私は40年以上生きてきて本当に知らないことだらけだったけど、偶然やきっかけが重なったお陰で、動物問題をはじめ、様々な社会問題について発信し続けてくれている先駆者の人たちの存在を知り、今の私がいる。そしてこれからも学び続けていかなければならない。

私もそんなふうに誰かにとってのきっかけとなる発信をしたいという強い思いが芽生える中、知識も経験もまだまだ足りないし、こんな私が一丁前に伝えられることはあるんだろうかと悩んだり、伝え方の塩梅にどうも納得のいく答えがなかなか出ないままの去年一年過ごしたのだけど。

まさかその答えの一つが「プラントベース栄養学」だったなんて去年の私からは想像できなかったな。

私は人に伝えるということをまだほんの少し経験しただけだし、反省点や改善点も沢山ある。「食」だけじゃなくてもっと色んなことについて色んな人と話せる場所が作りたいという思いもある。

でもこの講座を準備するにあたり、私は何をどう伝えたいのだろうと考えるプロセスを経て、改めて自分の思いと向き合うことができた気がする。学びの途中の私でも、私にしか伝えられないことがあって、それが誰か一人にでも届き、その人が考えるきっかけを作ることができるのであればその価値はとても大きいよね。

今後もっとヴィーガニズムを理解してくれる人が増えたらいいな、プラントベース栄養学を知ってプラントベースを実践してくれる人が増えたらいいな、こんな回りくどくて面倒臭い私と同じ思いを共有してくれる人が増えたらいいな。そんな思いで今後も私なりの「伝える」という活動を続けていきたいなと思っている。


そして最後に、、

今回初めて開催したプラントベース栄養学講座。正直、ちゃんと伝わってるかな、分かりにくくなかったかな、嫌な気持ちにさせなかったかなと不安だったのだけど、幸せなことにとっても嬉しいフィードバックを沢山いただけました。去年いっぱい悩んだからこそ余計に嬉しかったし参加してくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

今後の活動の励みにするためにもそんなアンケート回答の一部をここでシェアさせてください。

世界の不都合な真実は分かっていたけど、それを受けてとなる人が嫌な思いをしないように丁寧に優しく、分かりやすく伝えてくれているのを感じました。(中略)こうやって新しい知識は人生をより豊かにしてくれるので、もっと多くの人に届いてほしいです。

ハードルが高いと思ってなかなか実行に移せなかったところがあったのですが、今日できることがクリアになりハードルがググッと下がったので、少しでもプラントベースの生活を取り入れて行こうと思いました。また、新しく得られた知識と、少し垣間見えた新しい世界にワクワクしました。丁寧に準備をしてくれて本当にどうもありがとう!

どんな選択をするにしてもまずはきちんと知識や事実を知る事は大切だなと思いました。(中略)分かりやすく優しく寄り添って色々とお話を進めてくださり、ありがとうございました!

参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました!

これからも寄り添う気持ちを忘れず、多様なあり方を尊重し、伝えるということを続けていきます。

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この記事を書いた人

2019年ニューヨークに移住。海外生活21年目。海外での暮らしや子育て情報、日々の気づきを発信しています。

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